Jazz Twins

双子の若手新進ジャズミュージシャンの母がアメリカ南部メンフィスから、見て、聞いておもしろいことを発信します。

我が家の双子がメンフィスで音楽修行をつむにつれ、先生たちによく言われたことが、「自分のVoice(声)をみつける」ということです。

声を出して歌うという意味ではなく、楽器を使って歌う、つまり、自分の心の声を音楽で表現することです。ドラムとベースというリズムセクションの楽器は、伴奏をしてリズムをきざむだけでなく、自分だけにしかできない心の音楽を演奏して観客にアピールできなければなりません。

メンフィスには自分の声をみつけて、世界へ飛び立って行ったミュージシャンたちがたくさんいます。後にそれぞれミリオンダラー(百万ドル)をかせぐようになった4人のミュージシャンたちもそうでした。

エルビス・プレスリー(Elvis Presley)、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)、ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)、カール・パーキンス(Carl Perkins)の4人です。

世界の音楽史に歴史を残した4人の若者が、偶然に集まり、楽しく音楽をつくった記念すべきスタジオがここ、サンスタジオ(Sun Studio)です。

IMG_4709


メンフィスの中心部にある、小さな、手作り感いっぱいのスタジオです。1950年に、レコード会社をもつことが夢だったサム・フィリップス(Sam Philips)がはじめました。

サムは、最初のロックンロールのレコードをレコーディングしたとして音楽業界に残した功績が大きく、また、人種差別激しい時代に人種の壁を超えて白人と黒人、両方の音楽を取扱ったことでも有名です。

IMG_4675

これがサンレコードのトレードマーク。

たくさんのヒットレコードをだして世界中に知られるようになったロゴですが、レコード会社オーナー、サムの高校の同級生、ジェイ・パーカー(Jay Parker)がたった50ドルでデザインしたそうです。

サン(Sun)は太陽という意味。太陽といえば朝日、朝日は、新しい一日のはじまり、そしてそれは新しいチャンスにつながるという発想で、にわとりと朝日をデザインしたそうです。

実際に新しいチャンスがたくさん生まれ、たくさんのミュージシャンがここでレコーディングして世界へ巣立って行きました。

一番有名なのは、なんといってもエルビス・プレスリー(Elvis Presley)。
1953年に自主制作レコードをサン・スタジオで録音したものの、特に見いだされることがないままだったのですが、あきらめずに通い続け、レコーディングにあらわれなかった歌手の代理としてレコーディング。そこからあれよあれよと言う間に大ブレイクしてしまいました。


IMG_4702


そして、1956年12月4日、火曜日、サンスタジオに前述の4人の青年が集ります。

これがそのときの様子を残す有名な写真で、現在もスタジオの壁にかかっています。

左から、ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)、カール・パーキンス(Carl Perkins)、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)。

3人はすでに亡くなりましたが、つい最近80歳の誕生日をむかえたジェリー・リー・ルイスは現役ミュージシャンとして活躍しています。

もともとは、すでにミュージシャンとして成功していたカールのレコーディングに新人ジェリー・リーが加わることになっていました。そこにふらっと立ち寄ったのがすでに有名になっていたエルビスとジョニー。一緒に演奏したら楽しくて仕方のないハイレベルミュージシャンが集ったわけですから、当然のようにそれぞれが楽器を演奏し、歌って、ジャムセッションが始まりました。

このチャンスを逃してはいけないと、レコーディングエンジニアが録音をしたのでこのジャムセッションの様子はレコードとして世に出ることになります。偶然はじまった歴史的セッションは、新聞社に連絡されて写真撮影され、次の日の新聞に「ミリオンダラーカルテット」と銘打った記事が掲載されました。

参加した4人全員がとても有名になり、それぞれがミリオンダラー(100万ドル)を稼ぐようになったのです。そのお話は後に、「ミリオンダラーカルテット」というミュージカルになり、日本でも上演されました。

メンフィスのスタジオでは、現在も、ミュージシャンがレコーディングするとき、仲良しのミュージシャンが様子を見に立ち寄って励ます伝統が続いています。

双子のレコーディングのときにも、プロデューサーのお友達のミュージシャンが立ち寄って若い二人を励ましてくれました。ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson、マイケル・ジャクソンの妹)やアイザック・ヘイズ(Isaac Hayes)という世界的に知られる歌手のバンドメンバーという人たちがやって来て、メンフィスの音楽の層の厚さにびっくりしたものです。

ミリオンダラーカルテットの時代からあって今も脈々と続く、このふらっと立ち寄れるオープンさがメンフィスの音楽の奥深さにつながっているような気がします。

メンフィスに来たらふらっとお立寄りください。

そこから何かが生まれるかもしれません。





 

メンフィスには伝説のレコーディングスタジオがいくつかあります。
スタックスのように今はなくなってしまったスタジオもありますが、現在もその存在を世界にアピールし続けているのがここ、アーデントスタジオ(Ardent Studios)です。



IMG_1863


レコーディングした人たちは、メンフィスから世界へと羽ばたいて行ったアイザック・ヘイズ、サム&デイブなどのスタックスミュージシャンもたくさんいましたが、レッド・ツェッペリン、ボブ・ディランなど「おおっ!」というミュージシャンのオンパレード。つい最近はスティービー・ワンダーがレコーディングをしました。

日本からは忌野清志郎、中島美嘉などがここでレコーディングしていったそうです。

そして、我が家の双子ジャズミュージシャンが最初のアルバムをレコーディングしたのもここです。

IMG_1838

スタジオの壁にはたくさんのゴールドディスクとプラチナディスクが飾られてその歴史を物語っています。グラミー賞受賞作品もたくさんここから生み出されました。

創立者は、機械いじりが大好きで、特にラジオを組み立てるのが大好きな少年だったそうです。その趣味が嵩じてレコーディングスタジオを作ったのだとか。最初は実家のガレージで録音していたのが、規模が大きくなって何度か引越し、現在の場所にたどりついたのは1971年のことです。

IMG_1971


この写真の右側がスタジオ創立者ジョン・フライ(John Fry)です。
音楽業界では、ミュージシャンのモチベーションをあげるのがとても上手なことで有名で、実力を存分に発揮したレコーディングをさせてくれると評判が高い人です。メンフィスだけでなく全米の音楽業界の重鎮で、全米音楽スタジオ協会(SPARS)会長なども務めました。笑顔のすてきな人です。

左は、双子ミュージシャンの恩師でプロデューサーの、ドナルド・ブラウン(Donald Brown)。
世界的に有名なジャズピアニストで、プロデューサー、そして大学教授です。若い頃はスタックスのスタジオミュージシャンとしてこのスタジオで録音したので、二人は長いおつきあいだそうです。


IMG_2092


スタジオはA,B,Cと3つあります。これはスタジオAのミキシングルーム。
ミュージシャンが演奏したあとでレコーディングしたものをみんなで聞いて厳しく吟味します。双子のレコーディング時の写真です。

アーデントスタジオは、スタッフの皆さんが心底音楽が好きなのが感じられ、訪れて楽しいところでした。

双子のジャズミュージシャンたちもここから巣立ったすばらしい先輩たちの後に続けますよう…







 

ドラマーだったら、メンフィスといえばメンフィスドラムショップ(Memphis Drum Shop)
オーナー以下、全スタッフが現役ドラマーというこの非常にユニークなショップは、世界中のドラマーのあこがれです。メンフィス地区だけに限らず、世界を相手にドラムワールドを発信する国際的ドラムショップなのです。

我が家にとってはここもパワースポットのひとつ。
ドラマーのカールが、ドラム世界のドアを次々と開けていくことになった思い出深い場所です。ここでメンフィスの腕利きドラマーたちに知り合い、指導を受け、有名ミュージシャンたちにたくさん出会いました。

デイブ・ウェックル(Dave Weckl)、デニス・チェンバース(Dennis Chambers)など、世界の名だたるドラマーのドラムクリニックが定期的に開催されて、世界トップクラスのテクニックを身近に感じることができます。メーカーがスポンサーのドラムクリニックは参加費が安価で当地のドラマーたちの人気ですが、インターネットで世界中に配信されるので日本でも見ることができます。(ホームページ参照

IMG_5755

こちらがメンフィスドラムショップ。メンフィスミッドタウン地区のおしゃれなクーパー通り(Cooper St.) にあります。 写真右で太鼓をかかえた人がオーナーのジムさんです。とても背が高い、ハンサムでソフトなおじさまです。

自身がドラマーでドラム好きが嵩じてドラムショップをはじめたそうですが、スタッフは、全員バリバリの現役ドラマーで、ツアーや演奏に行かないときは、ドラムに囲まれる仕事を心底楽しむ情熱人が揃っています。何を聞いても即座に返答があるのはドラムショップならでは。


IMG_3781

入るとドラム、ドラム、ドラムがぎっしり並んでいます。
いろいろありますが、パール(Pearl),、サカエ(SAKAE、 ヤマハ(YAMAHA)と、日本の会社の製品もたくさん並んでいます。ドラムは日本の会社がとてもがんばっているのですね。メンフィスに来て初めて知ったことですが、日本人としてちょっとうれしくなりました。

IMG_6037

ドラムショップの圧巻は、1200個のシンバルが展示されたシンバルルーム。
一枚一枚全部音が違います。買う時は、写真の様に実際にドラムキットにつけて実際に使ってみて気に入ったものを買う事ができます。値段もいろいろですが、一枚1000ドルくらいのものを買うとなると、シンバル選びは慎重になります。

シンバルの音の言い表し方は、ドライ(Dry)だとか、ウェット(Wet)だそうです。カーンと乾いた音がするのがドライで、ちょっとこもるような音がするものをウェット(湿った音)と言うのだそうです。
どこからがドライで、どこからがウェットなのか?
素人の私は悩むところですが、ドラムやシンバルの世界の奥が深いのはよくわかります。

IMG_5733

ドラムショップの一部屋はビンテージドラムの展示室です。オーナーのジムさんのプライベートコレクションが並んでいます。
写真のドラムセットは、Ludwig社のビートルズが使用していたものと同じセット。他にもユニークな形のものなど年代物がいろいろあり、コレクター垂涎のコレクションを公開しています。

カールは奥にあるレッスン室によく通ったものです。

ここで出会ったドラマーの先生がメンフィスで有名なジャズドラマー、リナルド・ワード(Renardo Ward)。リナルドが的確なアドバイスをくれ、次々といろいろなジャズミュージシャンを紹介してくれたおかげでどんどん修行を積む事ができました。

ジャズミュージシャンはインプロビゼーション(improvisation- 即興)ができる人たちなので人付き合いでも即興が可能のようです。メンフィスのジャズミュージシャンたちは修行中の若者に懇切丁寧に教えてくれるので、ジャズがどんどんおもしろくなっていきました。

最初は、ロックンロール用のドラムキットしかなかったのですが、ここで先輩ドラマーのアドバイスでヤマハのジャズドラムキットをゲット。

そこから益々ジャズの地平線が広がっていくのでした…




話しはさらに戻って3年ほど前我が家がアメリカに引っ越してきたところに戻ります。

音楽の競争相手が少ない香港で、ロックスターへの夢が膨らんだ双子は、音楽の街、メンフィスに引っ越して、音楽の層の厚さに愕然とします。

アメリカ南部はバイブルベルトとも呼ばれるキリスト教の信仰が篤い土地。ここの子供たちは音楽を取り入れたキリスト教会で幼いころから楽器に触れ、生の音楽を身近に感じて育つので、高校生ですでにキャリアが違うのです。

そこで、双子は、「こういう子たちと一緒に演奏できたら楽しくてたまらない!」と、ポジティブに考え、音楽教育が盛んな公立高校に転校。マーチングバンド、ジャズバンドの授業を選択して課外活動にも参加することになりました。

IMG_0429

これがマーチンドバンド。
学校によってバンドの人数が異なりますが、大きなところは何百人もの部員がいます。

もともとは軍隊の鼓笛隊から発展したもので、ユニフォームを着て、ブラスバンドと打楽器グループが演奏しながらフィールドを縦横無尽に行進します。

特にドラムセクションは、高速で間違いのないバチさばきと同時に迅速に動き回ることを要求される注目の人気ポジション。練習を相当つんで選ばれた生徒だけができる特権です。

IMG_9856

フランスのジャズ関係者と話したとき、ドラマーはやはりアメリカ人のテクニックがすごいと言っていましたが、これだけ裾野が広ければレベルも高いわけだとうなずけます。

足も前に進むだけでなく音楽に合わせてかにのような横歩き、後ろ歩き、ターンなど、上手なバンドになればなるほど複雑な動きを入れた仕上がりになっています。

DSC01750


こちらは大学のフットボール試合のハーフタイム風景。

アメリカで一番人気のあるスポーツ、アメリカンフットボールは、秋の今頃がシーズンです。試合ともなればどの学校もこうしたマーチングバンドが応援席で盛大に応援し、ハーフタイムでは、立体的なマーチング演奏をして観客を楽しませます。

大会上位入賞の高校バンドで上手な子は、大学のマーチングバンド奨学金をもらえるようがんばります。アメリカは世界でも類をみない高額な授業料をとる大学が多いので皆必死です。その分、大学のマーチングバンドは精鋭たちが集ってレベルアップを競うことになります。


IMG_9877


バンドは、カラフルな旗をもって踊るカラーガードの女の子たちが色を添えて、華やかなパフォーマンスを繰り広げます。アメリカの高校では、チアリーダーと並んで、カラーガードも女子に人気です。旗の他、本物ではありませんが、ライフル、サーベルという武器を象徴するものも踊りに使います。

マーチングバンドは、全米各地で中高の授業や課外活動に取り入れてられてとても盛んです。高校部門の地区大会で優勝すると全米大会に進むことができます。その勝者は全米で放映されるローズボウルなど、大学フットボール戦のハーフタイムに出られる特典があるので、たいへん人気の活動です。

アメリカ音楽の基礎はこんなところから形づくられていくようです。



私がメンフィスで音楽と関わるようになったのは、息子たちが高校生のときにこの地に引越してきて、音楽を勉強したからです。
しかし、音楽のドアが大きくあき始めたのはスタックス(Stax)の付属スタックスミュージックアカデミー(Stax Music Academy)に彼らが通うようになってからでした。

IMG_0571

これがスタックスの博物館。1950年代から70年代まで世界を沸かせたソウルやR&B音楽をたくさん生み出したスタックスレコードの建物を復元したものです。スタックスがなくなって建物は取り壊されてしまったのですが、10数年ほど前、同じ場所に同じような外見で建物が復元されました。

IMG_4738


展示物には、アカデミー賞オスカー像があります。
スタックスの大物ミュージシャン、アイザック・ヘイズが映画音楽「シャフト」(Shaft 1971, 日本語名、「黒いジャガーのテーマ」)を書いてアカデミー歌曲賞を受賞したときのものです。

スタックスの何たるか?を全然知らないでスタックスに通い始めた私にとってもこの曲は耳慣れた音楽でした。探偵映画のサスペンス風景が目に浮かぶ有名な曲であちこちで耳にする曲です。

他の展示物は、スタックスというレコード会社が、人種差別の激しい時代、メンフィスという街で、黒人も白人も一緒に音楽に情熱を注いだその歴史をひもとくものです。

展示物は往年のスターたちの写真や思い出の品々。
スタックスといえば、アイザック・ヘイズ、オーティス・レディング、ブッカーT&MGなどですが、一世を風靡したブルースブラザーズのスティーブ・クロッパー(Steve Cropper 1941~)もスタックスの立役者。全部説明するとても長くなるので今回は省略しますが、有名人の名前がずらっと並びます。


IMG_7487

これは、オーティス・レディング(Otis Redding 1941-1967)が受賞したグラミー。
ビルボードで一位に輝いた「ドック・オブ・ベイ(原題 (Sittin' on) The Dock of the Bay」を歌った歌手もスタックスの人でした。

この曲も本当によく耳にする曲ですね。オーティスの歌う原曲もよく聴きますが、ものすごくたくさんカバーされているので飛行機やエレベーターなどで何気なく流れている曲のひとつです。

飛行機事故で26歳の若さでこの世を去った人ですが、音楽界に残した影響力の非常に大きいことは有名で、ヨーロッパではビートルズをはじめとして多くのミュージシャン、日本では忌野清志郎が影響を受けているそうです。

IMG_3167

双子の高校の先生が、音楽を本格的にやりたいのなら、メンフィスのスタックスミュージックアカデミーに行ったら?というのでさがしてたどり着いたのがここです。アカデミーはミュージアムのおとなりにあります。

ここに息子たちが通った2年間、私もボランティアとして関わることになり、メンフィス、そしてアメリカの音楽について多いに学ばせてもらいました。(まだまだ修行中です。)

正直に言うと本当に何も知らないで行きはじめたところです。双子たちの「本格的な音楽を学びたい!」という情熱に動かされ、アカデミーの門をたたきました。

犯罪率が高く、教育などいろいろな問題を抱えているメンフィスを活性化させるため、アカデミーは主にあまり恵まれていない家庭の子弟を教育する機関ですが、志さえあればオーディションを受けてプログラムに参加することができます。


本当は、メンフィスのちょっとあやしげな地区にあるスタックスに通うのはちょっとドキドキでしたが、時々立ち寄ってくれるミュージシャンはグラミー賞受賞、ノミネートという人がいっぱい。よくもわからないままなんだかすごいところかもしれないと思い始めました。

最初、ロックンロールのスターになりたいと思っていた双子たちは、R&Bセクションがいっぱいだからと地味なジャズセクションにまわされました。本人たちは、最初がっかりしていましたが、それがあとになって大きな意味を持つようになるとは知る由もありませんでした。

こうして、メンフィスの双子ジャズミュージシャンの音楽ジャーニーがはじまったのでした。

この続きはまた…


メンフィスの優雅な日曜の過ごし方といえば、ジャズサロン。
すてきなお家の居間でジャズミュージシャンを身近に感じることができます。

IMG_4293
 
今回のミュージシャンは、ジョイス・コブ(Joyce Cobb, ボーカル)とマイケル・ジェフリー・スティーブンス(Michael Jefry Stevens、ピアノ) 。二人とも世界をまたにかけて活躍しているベテランジャズアーティストです。

我が家の双子ミュージシャン、カールとアランもこの二人に師事し、マイケルからはジャズ即興法を、ジョイスからはブルースの歌い方を学びました。

二人とも現在は、演奏の他に後進の指導にも忙しく、ジョイスは、メンフィス大学、ローズ大学の音楽部ジャズ科の先生です。マイケルは、各地の学生を教えながら、意欲的にヨーロッパとアメリカにライブジャズを広め、ヨーロッパのミュージシャンとも多く共演しています。

IMG_4309

マイケルはスタインウェイの認定ピアニストです。個人宅のコンサートですが、メンフィスのアムロミュージック楽器店がスタインウェイのグランドピアノを提供してくれたので、すばらしい音色のピアノ演奏でした。2009年に認定され、ピアニストとして大変に名誉なことなので記念のポスターが贈呈されました。

マイケルのわきに客席の一部もみえます。
広いお家の居間を開放してのサロンは40人ほどのお客様でいっぱいでした。インターミッションにはダイニングルーム(こちらもとっても広々)でオードブルとワインも楽しめます。

ジャズ愛好家たちが集るパーティですから、思いがけない出会いもまた楽しみです。ワイン、ジャズ、そしておしゃべりの3拍子が揃う優雅なひとときでした。

IMG_4278

ジョイスはメンフィスの誇る歌姫、クイーン・オブ・ジャズとして、ビールストリートに名前を刻んだ音符プレートが歩道に埋め込まれているほどの人です。ジャズのインプロ(即興法)がすばらしくて歌とおしゃべりの境目がありません。音楽のしらべにのせてお客様をたくさん笑わせ、楽しませてくれる真のエンターテイナーでした。

IMG_4304

ホストは家族で音楽を楽しむ人たちで、皆が参加して演奏を披露しました。なかなかのハイレベルです。メンフィスはこういうアマチュアミュージシャンのレベルも高いことが多いです。

お母さんのお歌もすてきでしたが、会場を沸かせたのは若干12歳のハリソン君のピアノです。プロのミュージシャンに混じって堂々とした演奏ぶりでした。将来が楽しみです。
そしてベテランたちの暖かいまなざしもすてきでした。

ジャズに満たされたすてきな日曜日でした。



音楽の都、メンフィスといえばビールストリート。
ブルースで知られるメンフィスの目抜き通りにはライブハウスがたくさん立ち並び、歩道には音楽界に功労したメンフィスゆかりのミュージシャンの名前がついた大きな音符のプレートが埋め込まれています。

今日は、ビールストリートの歩道に加えられる新しい音符プレート授与セレモニーに出席してきました。今回功績をたたえられるフロイド・ニューマンは81歳のサックス奏者です。

IMG_4225


一緒に演奏した有名ミュージシャンは、アイザック・ヘイズ、ブッカーT&MGsなど、メンフィスゆかりのスタックスレコードのミュージシャンにはじまります。そして、フランク・シナトラ、サミー・デイビスJr、テンプテーションズ、ディオンヌ・ウォーウィック、ジェリー・リー・ルイス、などアメリカ音楽界に君臨する大御所の名前がずらりと並ぶ、知る人ぞ知るアメリカ音楽界の貢献者です。

10代の頃から頭角を現し、高校に通いながら夜はクラブで演奏、放課後はスタックスレコードに通い詰めてスタジオミュージシャンをしたというものすごい働きものだったそうです。今日のスピーチでは、華々しい自分の経歴については他の人のスピーチにお願いして、自分では、いろいろなミュージシャンを発掘し、育てたことを話していたのが印象的でした。

後にグラミー賞や、映画の主題歌を書いてアカデミー歌曲賞ももらうことになる若きアイザック・ヘイズ(故人、1942-2008)に才能を見抜いてスタックスに紹介したのもフロイドでした。ボロボロの服を着て、ピアノも右手でしか演奏ができなかったけれど、絶対音感があることに注目したそうです。左手も教えたらすぐに飲み込んで演奏ができるようになったので、「この子はいける!」と、スタックスレコードに連れていったそうです。

フロイドがいなかったら世界の音楽の歴史が変わっていたかもしれません。

IMG_4255

アイザック・ヘイズの音符プレートです。
フロイド・ニューマンの音符プレートもこのように、ビールストリートの歩道に仲間入りする予定です。

多くの人は知らない事だそうですが、アイザックは最初は、ソウルミュージックでなく、ジャズミュージシャンになりたかったのだそうです。メンフィスで、こうしていろいろなエピソードが実際に本人から聞けることが本当に楽しいですね。

IMG_4235
こちらが、ビールストリート。
世界的に有名なブルース歌手、B.B. キングなどが世の中に出て行きました。B.B.はブルースボーイの頭文字です。たくさんのクラブからレベルの高いライブミュージックが聞こえてくる音楽通りです。

音楽功労者の音符プレートは、エルビス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、アイザック・ヘイズ、B.B.キングなど。日本で聞いたことのある世界的に有名な大御所音楽家の名前が多く、メンフィスの音楽の層の厚さを感じることができます。

そして、大御所たちが大御所たれる所以はフロイドのようなすばらしいミュージシャンがいてこそのことです。そしてメンフィスはそういう人たちをたくさん輩出しています。

このイベントには、我が家の双子が高校時代、スタックスミュージックアカデミーで勉強したご縁で招待してもらいました。スタックスは1950年代、60年代、ソウルミュージックで世界を制覇したレコード会社。ビートルズなどにも大きな影響を与えたというソウルやR&Bで有名なレコードレーベルです。

IMG_4282

セレモニーのあと、個人的にお話を伺いました。とても気さくですてきな人です。何より、音楽を語るときの真剣なまなざしが印象的でした。目がきらきらと輝き、本当に楽しそうに語ってくれるので、音楽にかける情熱のすごさを肌で感じました。

二男二女のお父さんだそうです。全員立派に育ってしっかりやっていると自慢してくれました。そして彼の功労の大きな原動力は長年連れ添った奥様にあるそうです。

とてもすてきなご夫婦でした。


アメリカのディープな南部のメンフィス郊外に暮らして4年目です。
メンフィスといえばエルビス・プレスリーやソウルミュージックのスタックスレコードなどで有名な音楽の街。ブルース発祥の地としても有名です。

でも、「メンフィスってどこ?」
日本に帰るとよく聞かれます。

map_usa

このアメリカ地図でみるとメンフィスはアメリカの真ん中からちょっと右下です。アメリカの南部、テネシー州の西南のはじにあります。北米大陸で一番長い川、ミシシッピ川の流域の街で、ミシシッピ川をはさんで向こうはアーカンソー州、メンフィスの南にはミシシッピ州が広がります。

人口は、67万人ですが、近郊を合わせると約130万人の人たちが暮らしています。日本ではアメリカというとまずニューヨーク、ロサンジェルスという海辺の大都市のことをよく聞きますが、メンフィスのことを聞く事はあまりありません。

それもそのはずです。ここは130万人も人がいるのに、日本領事館に登録している日本人は200人ほどしかいないそうです。ディープな南部の街という感じで、エルビス・プレスリーのファンの人以外訪れる日本人もあまりいないようです。

IMG_0981


これがミシシッピ川にかかる橋です。メンフィス側から夕暮れ時に撮影しました。
我が家には双子の息子がいるので双子橋みたいにみえて、私にとってはちょっとセンチメンタルな橋です。メンフィスのシンボルとしてよくこの橋は紹介されることが多いようです。橋のむこうはアーカンソー州です。

IMG_8526


2006年6月に日本の小泉純一郎首相がブッシュ大統領と一緒にエルビス・プレスリーの家、グレースランドを訪ねたことで、日本人の頭の中には、「メンフィス=エルビス・プレスリー」という構図が出来上がりました。

IMG_0353


これがエルビス・プレスリーが20年ほどを過ごしたお家、グレースランドです。
エルビスが亡くなって30年以上たちますが、毎年60人万人もの人たちが訪れる、世界で一番訪問者の多い私邸だそうです。

日本ではあまり知られていないアメリカ南部、メンフィスから、双子ジャズミュージシャンの母として見たり聞いたりしたちょっとおもしろいことをこれからお届けしていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。









↑このページのトップヘ