世界のオルガン奏者との出会い
オルガンの仕事をするようになって、山本さんが一番嬉しかった時は、彼の人生を変えたジミー・スミスやDr.ロニー・スミスに出会えた時です。1973年に大阪のフェスティバルホールでオルガンコンサートがあり、その後大阪にブルーノートでも演奏がありました。山本さんがオルガンを貸し出すことになり、それがきっかけで交流が始まって親しくなりました。人生を変えてくれたジミーの生演奏を初めて聞いた時は、言葉にあらわせないほどの至福の時間だったそうです。
気さくで楽しい性格の山本さんのオルガンにかける情熱は徐々に広がり、ブラザー・ジャック・マクダフ(Brother Jack McDuff 1916 - 2001)、ジミー・マクグリフ(Jimmy McGriff 1936 – 2008)、ロニー・スミス(Lonnie Smith 1942 – 2021)、トニー・モナコ(Tony Monaco 1959~)、ジョーイ・デフランチェスコ(Joey Defrancesco 1971~)、という世界のトップオルガン奏者たちとも親交を深めるようになり、日本のハモンドオルガンはYamamotoと、世界のオルガン界でも知られるようになって行きました。
心の残るエピソードがあった演奏者は、広島営業所時代、現在も続くフラワーフェスティバルにブラジルのサンバチームと一緒にやってきたブラジル人オルガン奏者のワルター・ワンダレイ(Walter Wanderley、1932 - 1986)です。フラワーフェスティバルの後で、広島のそごうデパートで演奏してもらえることになりました。そごうデパートは、エントランスにハモンドオルガンの最高機種X-66を設置してお客さんにスタイリッシュな音楽を披露していたので繋がりがあり、屋上のビアガーデンで演奏してもらう手筈を整えました。ブラジルのサンバとアメリカのジャズを融合させたボサノバの音楽が世界中で流行しており、そのトップ演奏者の彼の生演奏を聞きたい一心で設定したことでした。憧れの演奏者との出会いにワクワクし、演奏の前に食事に誘って会話を楽しんでいたら、あまりに楽しくて時間を忘れ、気がついたら演奏の時間に1時間も遅れてしまったのです。ドキドキしながら、会場に到着し、大急ぎで演奏を開始しましたが、怒られずにすみホッとしました。演奏は、というと、2回のステージが、大いに盛り上がったことはいうまでもありません。
その後、ワンダーレイの講習会も開催しましたが、参加者皆大喜びの楽しい講習会となりました。
つづく